電子チラシの裏

無方向の言葉

悩むという趣味

 

最近、なおざり*1にしていた瞑想をやり始めた。

 

とりあえず、一日20分くらいのペースでやっている。

すると、少しだけ頭の中がクリアになっている感覚がしてきた。

ただのプラシーボかも知れないが……。

まあ、効き目があるという実感があるのなら、プラシーボだろうがなんだろうが効果はあると言えよう。

 

しかし、いざ頭がクリアになると、それはそれで戸惑う。

頭がクリアになるということは、頭が空っぽになるという事でもある。

いままで絶えず考えていたことを考えなくなった。

 

それはそれで喜ばしいことではあるが、何も考えないというのも、それはそれでなんだか嫌だ。

常に何かに対して疑問を投げかけ、自分なりの答えを模索するような毎日を過ごしていたいのだが、そういう気にもならなくなってくる。

 

そこでふと気づいた。

ああ、悩んだり怖がったりするのが自分の趣味だったのだと。

世の中にはすぐ怒る人がいる。

 

そういう人たちは、多分怒るのが趣味なのだろう。

怒るのは気持ちいいからな。中毒になるからな。

 

そんな風に思っていた自分は、不安の中毒者だったのかも知れない。

中毒から抜け出せて良かったととらえるか、それとも嘆くべきか。

 

まあ、今は結論を出さなくても良いだろう。

*1:「全くやっていないこと」をなおざり、「テキトーにやっていること」をおざなりと言うらしい。また一つ、賢くなったね。