電子チラシの裏

無方向の言葉

「復讐は何も生まない」というカビ臭くて安っぽい言葉

 

少し前に、「相棒」が新春スペシャル?をやっていた。

まあスペシャル特有の後付け設定で「実は昔こんなことがあったんだよ!」というエピソード。

いつものヤツである。

 

僕自身は相棒の視聴者ではないのだが、家族に見ている人がいるので、僕もチラッと見た。

その時にちょうどクライマックスのシーンだったようで、杉下右京が「復讐しても、虚しくなっただけではないのですか?」というセリフを語るシーンだった。

 

つまり、復讐は何も生まないといういつものありがたいお言葉だ。

僕はこの言葉がものすごく嫌いだ。

 

復讐というのは1つのイニシエーションであって、僕はこれを形式的なものだと思っている。

つまり、そこに何らかの意味や生産性を求めているわけではないのだ。

 

「なんのために復讐する」とか

「復讐によって何かが生み出される」とか

そういうことではない。

 

意味なんて求めてないのだ。最初から。

それを「復讐は何も産みませんよ」なんて知ったような顔で語るな、と思ってしまう。

痛みなんて本人にしか分からない。

 

「この痛みのレベルは32で、『ガラスを誤飲する』の次に痛いです」と説明することはできる。

しかし、もしその人の五感が鋭く、32という数値以上の痛みを感じていたら?

扁桃体が異常に発達していて、人よりも強いストレスを感じていたら?

 

自分には理解できなくても、その人にとっては十分な動機になるかも知れない。

つまり、この痛みをお前にも味合わせてやる、という風に。

 

人にはそういう感覚の違いがある。

だからこそ、こういう復讐を語る時は、復讐推進派と反対派での相克を描くべきだ。

 

しかし、まあ、「相棒」でそんなものが描かれるわけもない。

いつものように主人公がそれっぽい事を言って犯人が連れてかれて終わり。

 

相棒が過去にどんなドラマだったのかは分からない。

(もしかしたら昔からそうだったのかも知れないが)長く続いてシリーズ化すれば、どんどん当たり障りのないことをして行かなければならない。

 

ドラえもんしかり、仮面ライダーしかり

おなじみのキャラクター達が画面の中で動き続けるのは安心感を抱くが、いつまでもそこにとどまって進歩を放棄してしまうというのは許容しがたい