健やかなるときもやめるときも愛すると口では言うけれど
「死が二人を分かつまで、結婚相手として愛すると誓いますか?」
「「誓います」」
一見ロマンチックに感じるこのやりとりですが、実際はロマンチック等ではないらしいです。
むしろこれは極限のリアリズムに基づいたやりとりであるそうで。
すこやかなるときもやめるときも、というのは「コイツが病気になろうが何になろうが」
良きにつけ悪しきにつけ、というのは「コイツが善人だろうが悪人だろうが」
愛を誓うか? という内容を問うているのです。
とどのつまり、「あなたは結婚相手が病気かも知れないしとんでもない悪人かも知れないという可能性を考慮した上で結婚すると誓いましたね? じゃあクーリングオフは受け付けませんから」ということです。
神父(あるいは牧師?)に誓いをたてるのは、結婚後のリスクについて真剣に考えるためというワケですね。
最近身にしみて思うのが「日本人はリスクについて考えるのが苦手だ」という事です。
戦時中の大本営しかり、ワールドカップの勝敗予想しかり、とにかく良い未来しか口にしません。
それは日本という国が言霊という概念に縛られているからです。
「それを言ってしまえば現実になる」という迷信を無意識下で信じているのです。
かくいう僕も、言霊に縛られているのかも知れません。
僕は年齢的に大学を卒業する歳ですが、就活をしたことがありません。
そして就職をするつもりもありません。
なぜなら、「それでなんとかなるような気がしているから」です。
自分の未来について考えてみてふと死にたくなるような日はあるにはあるのですが、
だからといってインターンに行ってみようとか、就活的な事をしようという気には一切なれないのです。
このまま行けば、50代にもなって実家の子ども部屋に住む小汚いけど目だけはキラキラ輝いているTCG好きのハゲデブおじさんになってしまうんだろうなと思います。
そう考えると、僕の人生は間違いだったような気がしてきます。
僕はなぜ間違えてしまったのか。
まあ大きな要因はリスクについて考えなかったからでしょう。
ここまで来ればもう破滅を待つだけなのではないでしょうか。
僕より若いかたは、是非、自分の未来について考えてみて下さい。
できれば悲観的な方に。
僕はもう今更な感じがするので、どうにか逃げ切れる方法を考えてみます。