電子チラシの裏

無方向の言葉

ユーザー参加型コンテンツの欠点

 

ユーザー参加型コンテンツは時流に乗った良い生存戦略だとは思う

キャラクターコンテスト

シナリオ募集

BGM募集などなど……

 

どのコンテンツでも視聴者の積極的な参加を求めている

 

そのおかげでコンテンツは盛り上がり、さらに大きな利益を生み出せるようになるかも知れない

 

大きな利益が出ればユーザーにも還元され、コンテンツを提供する側と受け取る側の両方がいい目を見る

 

しかし、必ずしもそうはいかない

正直な話、僕はユーザー参加型というシステムに対して懐疑的だ

 

ユーザーからアイデアを集めてふるいにかけ、優れたものを残し、劣るものは振り落とす

 

残されたものは当然残らなかったものよりも少なく、誰かが選ばれるということは、それ以外の全員が選ばれないことだ

 

これが続いて起きることは上位層の固定化だ

「どうせアイツらが選ばれる」

「俺たちは何やっても無駄」

「やってらんねえよな」

そんな気分になる

 

実際、メンバーにノルマを設けて競争させるというシステムを導入した組織は一時的に利益が上がるが、長期的には下降するというデータがある

 

褒められた人間は「また頑張ろう」と思ってやる気になるが、それ以外の人間は「またアイツか」という気分になるので、実は組織に対していい影響を与えない

 

バブル期に競争して誰もが勝者になれるという状態があった

それは、バブルという常に経済成長を続ける特殊な状況だったからだ

現在のように経済が萎み続ける状態では、もはや全員分のイスなどない

 

競わせてやる気になるのは「勝てる側の人間だけ」だ

そして、絵を描いたり、曲を作ったり、文を書いたりするような人間は大概「負けた側の人間」だ

 

現実が楽しかったら創作活動なんかしない

スポーツをやって、ファッションを楽しんで、映画館で映画を見て、そして恋に踊らされてもみるだろう

 

でも僕たちはそのどれもやらない

いや、やれなかった

少なくともそちら側には僕たちの居場所はなかった

僕たちは世の中に対して何かしらの不満があるからこそ、その捌け口として創作をしている

 

人生の入り口、小学校に入ればさまざまな選別が行われる

 

顔が美しい醜い……

太っている痩せている……

頭が良い悪い……

足が速い遅い……

 

僕たちは数々の競走で負けてきた

負けに負けを重ね、負け続けてここに流れ着いたのだ

 

敗者が集まったからと言って、始まるのは慰め合いではない

新たな競争に見舞われるだけ

 

僕たちは一体いつまで負け続ければ良いのだろうか